ソフトウェア開発における「アーキテクト」の存在は重要だ、重要だと言いながら、実際のところ、アーキテクトの考えたソフトウェアアーキテクチャが、きちんと機能しているプロジェクトって、あまりお目にかかれていないような気がする。
そもそも、「アーキテクチャ」とか「アーキテクト」って何?…ってところで、行き詰ってしまう人が大半なんじゃないのかな?こまちさんは、「アーキテクチャとは何か?」とか「アーキテクトとはどんな人か?」と言った話に対する有益な答えは示せないけれども、1つだけ言えることがある。
「アーキテクチャに唯一解は存在しないということ。」 「そんなの言われなくても知ってるよ!」と言われそうだけど、「唯一解≠最適解」の関係を知りつつも、唯一解を目指してしまうのは、人間の「性(さが)」じゃないのかなって、最近常々思うんだよね。
アーキテクチャの話からちょっとそれちゃうけど、唯一解を目指す人間の「性」について、ちょっとだけ、今回は触れとくね。
人間がなぜ唯一解を目指すかと言えば、
解が1つに定まることで、「心の安定」が得られるから。こまちさんたちは、「1+1」の計算結果が「2」になることを当然のように「知っている」けど、「1+1」の計算結果が、「100」や「コロッケ」と言った、複数の解を持ちうることになってしまったら、途端に不安になってしまうんだよね。別に「1+1」の計算結果が、場合によって、「コロッケ」でも、「猫」でもなんら問題はないはずなのに、「2」が唯一解であるべきだと思ってしまう。無意識的に「2」以外の計算結果が算出されることにある種の恐怖を感じてしまっているのかもしれない。
逆に、唯一解があるから、他者と認識を共有できるんだっていう、唯一解の存在意義を主張する人もいるかもしれない。確かに、他者と意思疎通する上で、共通の認識を持つために、唯一解の存在が果たした役割は大きい。ただ、だからと言って、唯一解以外の回答が提示された際に、その解が否定される理由とはなりえないんじゃないのかな。
そうそう、この間、ある子と話していた時に、人生には唯一解が存在しないことに気付いたのって、何歳ぐらい?って話をしてたんだ。こまちさんがそのことにきちんと気づけたのは、おそらく大学受験に失敗し浪人した18歳の頃。中学時代からそうだったんだけど、若いくせに人生に結構疲れてて、生きるのめんどくさいなーって思ってたんだよね。でもでも、別に、他人が敷いたレールに乗らないことは間違ってないんだということを確信してから、人生も捨てたもんじゃないなって思えるようになったんだよね。
かなり脱線したけど、大事なのは、他人が示す答えに従うことではなく、
自らが「これがいい!」って思える答えを作れるようになることだってこまちさんは思う。そう、「答え」は、誰かが用意してるんじゃなくって、自ら創り出すものなんだよね。
今回のタイトルの
『アーキテクトの審美眼』は、MSのアーキテクト・萩原さんが、アーキテクトの姿勢や思考の方向性を伝えるっていう意味で執筆された、アーキテクトを目指す方には欠かせない一冊です!(人によっては、かなり難解に感じるかもしれませんが、アーキテクトの心のよりどころとなる一冊となることは間違いないです!)そこには唯一解は記載されおらず、どういう思考でソフトウェア開発を行っていくべきかといった、アーキテクトへのメッセージが綴られています。『月刊DBマガジン』の同名の連載を書籍化したものなので、既読の方もいらっしゃると思いますが、ご興味のある方はぜひご購入ください。
でわでわ、そんな感じでー(~ ̄∇ ̄)~♪